7代目 小林大史

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池利の歴史

 星の数ほどある中から当店のページにアクセスして下さった皆様、本当に感謝です。
これからもこだわりの本当に美味しいお味噌を造り続けていく所存ですので末永いお付き合いをどうぞ宜しくお願い致します。
さて、どんな人間が何を思ってお味噌を造っているか、ということで…
お味噌だけでなく、食にかかわる全般にこだわりをみせるようになった経緯を少しばかり自己紹介します。
(ユニークな人生だとよくいわれますが・・・)

  • はじまり1973

    長野県上田市の大桂商店に長男として生まれる。
    父は6代目当主兼杜氏である群史
  • 少しずつ1989

    地元丸子中学校卒業
  • 順調に1992

    長野県立上田高等学校卒業
    国立信州大学工学部物質工学科入学

    ここまではかなり順調だったが・・・

  • 変化1994

    休学
    大学を休学して、インド料理 シュプラ(松本市)へ修行に入る
  • そして1995

    大学を退学し、新宿調理師専門学校に入学
  • 新たに1996

    新宿調理師専門学校 卒業

    株式会社東急リゾートサービス入社
    会員制リゾートホテル東急ハーヴェストクラブにて料理人としての人生を送る
    鬼怒川・箱根明神平・旧軽井沢(オープン)・箱根甲子園(オープン)計4店舗を経験(稀)

  • 引き継ぐ2007

    味噌屋を継ぐ事を決意し、実家にもどる。
  • 味噌造りに奮闘中NOW

    食の可能性を探求
    調理師,みそソムリエ(みそソムリエ認定協会認定)まだ全国で数百人!!,みそ技能士2級,の資格保有し、日々、味噌づくりに集中しております。また、料理人歴を活かしたフードコンサル、アドバイザリーとして、奔走中。メニュー、献立開発、店舗の方向性等、首都圏及び地元の飲食店のオーナー様や料理長様との話し合い、6次産業化の会議に参加し、また時にはmy包丁持参で調理場にガチ入りして食のイベントや、若手への指導など、今も積極的に料理に携わっています。
    【得意な料理ジャンル(職人として)】
    和食、洋食、寿司、ラーメン、インド料理、趣味としての現在の高頻度は中華とイタリアン
    お料理、調味料、メニュー開発、名物開発、などなどお気軽にご相談ください!

7代目の話story

はじまりは大学時代

大学在学中に、今は無きインド料理シュプラのチキンカリーとドライキーマに魅せられ、週3ほど通い詰める。 バイトを初めて益々ハマリ、1年修行したらスパイス配合全部教えてやるぞ、と言われて決心。 2010年にお店を閉めてしまったので、このスパイス配合を知り、あのドライキーマを再現できるのは東京代々木のライオンシェアと私だけです。多分。その他にもラーメン店、運転代行等でバイト。 本格的に料理で食べていく覚悟をし、新宿の調理師学校へ。 授業は非常に真面目に取り組んだ。本物の陳健一に麻婆豆腐を教わり、当時は相当嬉しかった。 歩いて行ける歌舞伎町にも、居酒屋に行く程度だった。ハマらなくて良かった。




西洋料理を学ぶために

当時目指していたのは和の心をもった西洋料理。 まずは本格的フレンチにふれてみようと、就職は恵比寿のタイユバンロブション、 銀座、五反田の個人フランス料理店に内定を頂き、洋食の先生に何処が良いか聞きにいくと「有名店や個人店だとホールを何年もやらされるぞ。 すぐに色々強くなりたかったら、人手が足りてない店に行け!知り合いの料理長のいるホテルがあるから見学いって来い。」てな感じで軽い気持ちで鬼怒川の会員制ホテルへ見学に。 交通費も出してくれるらしいし、さすがホテルは違うなとか思いながら到着すると、 料理長、支配人はおろか本社の渋谷から人事部長までおそろいである。完全に面接ぢゃない?これ。 それでもと思い、鬼怒川温泉駅の洗面所で無精ひげをそって良かったわ。本当に。キヨスクのかみそり切れなくてヒリヒリだったけど。




予定外の就職

入社したくて仕方が無いわけでもないので、お話も失礼の無い程度に好きなこと喋りました。 お酒も日本酒のコレとコレが好きです。 なんていったら総支配人がエラい喜び、今時日本酒の味のわかる若者なんてそういない。 君のロッカー用意しとくから。待ってるよって。 え~僕東京のフランス料理店行くんじゃなかったかな?まあすぐ包丁握らせてもらえるし、ていうか即戦力期待されてそうだし、 同じ調理場で和食も洋食もデザートもバンケットも見れるし、一応週休2日らしいし、 休館日あるし、温泉あるし、食べ歩きも自分の研究もできるしいいかと。 大きすぎるホテルだと全部のセクション終わる頃にはいい歳になってしまう。 小さいお店はそれしか覚えられないし、平行して勉強できるのはいいことかと。




リゾートホテルでの修行

かくして予想外の栃木県民となりました。鬼怒川といっても温泉旅館ではなく、リゾートホテルで良かった。 600人収容。料理長は現東急ハーヴェストクラブ本部付洋食部顧問、本田料理長。 京王プラザホテル上がりの本格フレンチシェフ。レシピの材料はフランス語。わけも分からぬままあっという間の4年間を鬼怒川で過ごす。 洋食、デザートはここで習ったことがベースとなる。和食もかじる。 朝、夕食バイキングや立食、着席パーティー等ホテルならではの分野も得意になれた。 今だから書けるが、当時突然残業カットになり、車のローンが苦しかったので、新規オープンの某ラーメン店へ。 深夜にはラーメンとチャーハンの腕を磨いた。ちなみに栃木ナンバーで車は?やっぱランエボでしょ。いろは坂近いし。…F町在住だし…徹夜も平気で若かった。 ←当時読む漫画はもちろんイニシャルDもっと和食習いたいですと言っていたら、1年間箱根へ行け、と。 和食しか無い箱根と人員トレードで洋食教えながら和食習え、と。 3月半ばで4月からって、心の準備が… かくして箱根へ。150人収容でこじんまり。 色々勉強になり楽しかったです。 和洋会席で初めてコースメニューも書かせて頂きました。 小田原の街や家系らーめんとも出会いました。 鬼怒川へ戻るのかと思いきや、旧軽井沢に新店舗オープンだと。 これは実家も近いし是非お願いします。600人収容は得意ですと。




本格的に和食修行

かくして旧軽井沢へ。和食メインで料理の鉄人、中村孝明プロデュースということでした。 親方は弟弟子で元なだ万シェラトン東京ベイの料理長、内山料理長。群馬で自分のお店も持たれてました。 現東急ハーヴェスト和食顧問。和食と洋食の両巨匠に直接その分野を習ったのは何百人の料理人の中でも、 和洋のど真ん中を目指して両刀使いだった僕だけです。多分。ここで和食とは何か、を徹底的に教わりました。なだ万と吉兆上がりの関西人に囲まれて。 勉強になることも、理不尽なことも、色々。板場が長かったのでここで魚、お造りが得意に。 前から魚は好きでやっていたけど。特殊な物が。活きてる魚とか、鱧(はも)とか。 天然と養殖の違いとか。3年半ぐらいして今度は箱根の仙石原に旧軽井沢と同じサイズの大きい2店舗目をオープンさせると。 軽井沢は年齢が詰まっていたので、移動希望を。 かくして4店舗目。今度の箱根甲子園は洋食の総料理長の元、料理人25人以上。 和食と洋食がバランス良く半分ずつ。開業準備から入り、調理場からお皿から絡むことができました。 主に煮方。あと和の和洋デザート。 梅酒のパンナコッタとか、カボチャのクレームブリュレとか、市田柿のソルべとか、ど真ん中且つ旨いもの。 板長はコテコテ和食なのでカットフルーツやあんこしかネタが無く、重宝で面白がられました。




実家からのSOS

和食の2番手として主任の肩書きも頂き、やっと自分色を出しつつガツガツ楽しくやっていたのですが…実家よりSOSが。 もうじき副料理長だし、その先数年で料理長なんだけど。 やっとここまできたんだけど。 まあしょうがないか。あとは歳を待つだけだし。 親父が元気なうちでないと実家は引き継げないし。 小さな蔵元で、子供のころから手伝いを散々やってたんで、何をやるのか、は分かります。 まったく知らない世界に飛び込むのは大変だろうけど、同じ食品を扱う商売だし、まして勝手の分かる実家だし。 世の中うまい味噌って意外と無いし。 旨い自信はありました。うちのお味噌。継ぐ前から。本当に手造りだけで小さいけど。 その親父の技術やノウハウを僕の代で途切れさせるわけにはいきません。 こうなったら日本一料理の得意な味噌屋の店主になってやろうか!!!!と。かくして七代目誕生、というわけです。味噌屋としての暦は私より長い方ばかりですが、 逆に料理をする立場で味噌を考える場合にはこんなに料理の事知ってる味噌屋はいないと思っております。味噌屋になったからには、まずは奇をてらう事の無い、正真正銘の本物の味噌造りからだと。 造った人間が毎日飲みたい味噌汁を作る事からと思って味噌造りに励んでおります。 終わりはありませんが。 そのうちに料理人としてのレシピやアイディア、新商品も乗せて行きたいと思っております。 お味噌に限らず、お料理のことは是非お気軽にご相談下さい。
<気が向いたら続編書きます。とりあえずこんなところで。>